今年買って良かったもの

今週のお題「今年買ってよかったもの」〈2014年をふりかえる 2〉

今年買って良かったものといえば…任天堂3DSのゲームソフト「ポケットモンスター オメガルビー」です。
このソフトは、今から12年前に発売された、ゲームボーイアドバンスの「ポケットモンスター ルビー」のリメイク版として発売されたものです。

このリメイクの元になるソフトが発売された当時、私はまだ小学生でした。
「ゲームは1日15分」という母との約束を守りつつ、毎日のようにゲームに明け暮れたことが思い出深いです。
また、通信ケーブルを用いてシリーズ作である「ポケットモンスター サファイヤ」と通信交換しなければ手に入らないポケモンがいたり…ということもあり、弟とよく二人でゲームをしたものです。

とにかく、当時の思い出がたくさん詰まったゲームソフトのリメイクということもあり、期待が大きかったですね、本当に。
任天堂さんは、期待を裏切らなかったです。
本当に素晴らしいリメイクに仕上がっていました。 

まず私は、ゲーム内のBGMに心打たれました。
当時のBGMに現代風(?)のアレンジが加わった、といったような印象でしょうか。
とにかく、ゲームをプレイしていて…懐かしくて仕方なくなるのです。
当時の気持ちに戻ってゲームがプレイできることに喜びを感じました。

次に私が素晴らしと感じたのは、エンドロール。
うまく言葉で言い表せないのですが…とにかく素晴らしいです。
凝ったエンドロール。一度、見てみてください。 

今年は無駄遣いをたくさんしてしまった気がしなくもないですが…この買い物に関しては、もう後悔なんてもってのほか。
当時、ルビーサファイヤをプレイしていた方は是非、リメイクを購入して楽しんでくださいね。

お久しぶりです

一体、何ヶ月ぶりの更新なのだろうか?
みなさん、お久しぶりです。
いかがお過ごしでしょうか?

私は大学生活にも慣れ…、いやむしろ弛んできているのではないか…という現状です。
学問系の大会(チーム戦のものです)の大学チームに所属し、約半年もの間、忙しすぎる日々を送っておりました。
大会が無事に終了し、時間を持て余すようになったので、これからまたブログを再開たいと思った次第です。
今後ともよろしくおねがいします。

ニックネーム

今週のお題「名前をつける」

私は大学生になるまでに、友達から様々なニックネームをつけてもらいました。

毎年、何かしら新しいニックネームをつけられています。

クラス替えなど新しい環境になるたびに、「今まで○○って呼ばれてたから、皆も呼んでね!」と呼びかければ、こんな事にはならない気もするのですが、私はあえてそれをしていません。

私にとって、ニックネームは「思い出」そのものです。

たとえば、ある名前で呼ばれると、小学校時代を思い出します。

ドッジボールをすると、必ず名前を大声で叫ばれてたなあ、なんて懐かしい気持ちになったり。

また別の名前で呼ばれると、中学校時代を思い出します。

この名前をつけてくれた友達は、今どこで何をしているのかなあ、と気になってみたり。

またまた別のニックネームで呼ばれると、高校時代に戻りたくなります。

好きな人に何度も自分の名前を呼ばれて嬉しかったよなあ、と甘酸っぱい初恋を昨日の事のように感じたり。

そしてこの春、私は大学生になり、新しく名前をつけてもらいました。

最近になって、ようやく愛着がわいてきました。


このように改めて振り返ってみると、ニックネームの歴史そのものが、自分の学生時代の思い出であるような気がしますね。

これからも、自分の名前を大切にしたいです。

理系離れ

最近、「理系科目離れ」が顕著である。

そこで、自分なりに「理系科目離れ」の原因について考えてみた。


私は現在、理系学部に所属しているが、中学、高校の時はあまり数学が好きでなかった。

しかし、高校時代や浪人時代に良い先生に恵まれたということもあり、理系科目を勉強することの楽しさに気づくことができた。

この経験を通して、今の学校教育に足らないものが見えてきた。

ここでは、理系科目(特に理科の科目)を学ぶ上で大切であろうことを述べてみる。

・「理系科目」をもっと身近に感じること

理科(化学、物理、生物、地学)は、私たちの身近に存在する事象について学ぶ学問である。

それなら、なぜ学校の先生は、もっと身近な事象と関連付けて理科を教えないのだろうか、と私は疑問に思う。

例えば、化学の「気体」の単元を例にあげてみる。

気体の単元は、多くの高校生が苦手意識を持つ単元である。

その一つの原因は、気体は私たちの身近には存在しているのだが、「目に見えない」からではないか、と私は考えている。

目に見えないものの現象について考えたり、計算をしたりするというのは、どうもピンとこないし、イメージしにくい…というのが、多くの高校生の率直な気持ちであろう。

では、普段は目に見えない気体を身近に感じるにはどうするのか。

…目に見える現象を例にあげればいいのである。

例えば、新品のポテトチップスの袋を持って山登りをするとしよう。

すると、山を登っていくにつれて、ポテトチップスの袋に変化が生じることがわかる。

袋は最終的に、パンパンに膨らむことだろう。

ここでわかることは、気体には「体積」があること。

そして、「何か条件の変化によって、気体の体積が変化する」ということも自明である。

この事象は有名であるし、実際に同じような経験をしたことがある人がいるかもしれない。

こう考えると、気体が身近に感じるし、計算などをすることに何の抵抗感もなくなる。


要するに、単元ごとの導入部分で、もっと生徒の興味関心を向けさせ、自分の身近にある事象について扱うということを伝えるべく、先生たちがそれぞれ工夫する必要があると私は思う。

現在、社会では「子供の理系科目離れが著しい」と言われているが、そもそもの原因は、ほとんど教科書通りにしか教育できない「先生たち」にあるのではないのか、と私は思う。

ベッド

今週のお題「布団派? ベッド派?」

私はベッド派ですね。


私が小学校に入学した時、両親が二段ベッドを買ってくれました。

弟がまだ小さかったので(ベッドから落ちてはいけないと思ったのだろうか)、私がベッドの上段、弟が下段で寝る、と両親から決められていました。

弟が小学校へ入学してからは、ベッドの階段を使いたいが故に「上段で寝たい」と言い張り、私は「今までの習慣を崩したくない」と頑なに上段を譲らず、よくけんかもしました。

…今思い出すと、懐かしいと同時に恥ずかしいですが(笑)

そんなこんなで、私が上段、弟が下段で6年間、二段ベッドで一緒に寝ていましたが、私が中学校に入学する時に、二段ベッドを一段ずつへと解体しました。

理由は、子供部屋から一人部屋へと移行したからでした。

新しい自分の部屋で、ふと一段だけのベッドを見ると、なんだか寂しい気持ちになったのを、今でも覚えています。

こうやって、私も弟も大人になっていくのかな?と子供ながらに思ったのかもしれません。

ただ、弟がこの時にどう思っていたかは分かりませんが…。

私にとって、ベッドは今でも小学校時代の思い出の一つです。

今も、そしてこれからも、私はベッド派でいたいですね。

現状

私は去年、浪人していました。

去年の今頃、「大学に入ったら勉強から解放される!」や「好きなことばかりできる!」という意気込みで、ひたすら勉強に励んでいました。

ところが、実際に大学生になった今、去年の私が思い描いていた大学生活は送れてはいません。

私は、大きな誤解をしていたようです。

誤解その①
勉強から解放なんかされないです。

私は理系ですので、数学や物理など受験期に手こずった教科なんかも、大学で勉強しなければなりません。

正直、高校生の時みたいに「テスト前に知識を詰め込む」という勉強スタイルでは、今後やっていけそうにありません。

週終わりにでも復習しておかなければ、次の講義の内容が理解できません。

これを繰り返すと、その科目の内容がわからなくなり、勉強のやる気もなくなるでしょう。

…負の連鎖が続くと、おそらく単位を落とすでしょうね。

理系の道を選んだ以上、勉強からは逃れられないと考えた方がよさそうです。

まあ好きで理系を選んでいるので、それなりに毎日の講義や課題を楽しんでいますが…。

「大学生=暇」は大嘘です。
少なくとも、理系の場合は。

去年の私は、なんと無知だったのだろうか。


誤解その②
「大学では、自分が興味のあるかつ好きな教科の勉強ばかりできるし、楽しいだろうなあ。」と思ってましたが、間違っていました。

一回生の間は、一般教養の科目が多かったり、専門外の科目が選択必修だったり…と、全ての講義が面白いと感じる訳ではありません。

例えば、私は地域産業に関する一般教養の科目を履修しているのですが…授業中、本当に眠いです。

興味を持つことができないのです。 

生物学を勉強するのに、産業を知って何になるのか?と私は問いたいですね。

私の専門は生物なのですが、肝心の生物学の授業は週2コマです。

正直、これではもの足らないです。

やっぱりこのあたりの事も、今までのイメージと違うなあ…と思いました。


がっかりしたことも多いですが、これからも自分なりに大学生活を楽しむ方法を模索していこうと思います。

大学に入って

私はこの春、大学生になりました。

入学して1ヶ月ほど経った今、思っていることを書き出してみます。


①「気を抜くと周りに流される」

私はあまり自己主張をしません。

周りの人達と調和することを優先して、毎日を過ごしています。

皆がやっていることの真似をしてきた、と言い換えてもおかしくはないのかもしれません。

大学生になると、周りに合わせてばかりいると痛い目にあいます。

大学生が皆、真面目だと思ったら大間違い。

受験から解放された反動で、勉強が二の次になっている人が本当に数多くいます。

せっかく苦労して大学に入学したというのに(ちなみに、私は浪人を経験しました)、勉強に手を抜いてしまってはもったいない!!…そう思いませんか?

研究室に配属される際や就職の際には、成績が考慮されるということは自明なのだから、勉強を真面目にしておくに越したことはないのですから。

ちなみに、私の仲の良い友達は、「受験で燃え尽きた症候群」で、現在では勉強をお粗末にしています。

実際、私も「みんな勉強していないし、私もしなくていいや」と考えてしまうことが多々あります。

それでも、将来痛い目に遭いたくはありませんし、時間を無駄にはしたくないので、周りに流されないよう努力しています。


②「自発的に行動しなければ、何も始まらない」

これこそ、大学生の特徴であり、中学・高校とは全く異なる要素の一つであると思います。

高校までは、「クラス」という定められた枠組みの中で友達を作れば良い、という環境下で過ごしますよね。

しかし、大学では環境が一変。クラスがありません。

ゆえに大学では、自分から進んでアクションを起こさなければ、友達を作ることができません。

私にとっては、これが結構、大変なものでした。

また、自発的な行動が必要なのは、友達作りだけではありません。

サークル活動やアルバイトも、自分から行動しなければ、何一つ始まりません。

私は通学時間がかなり長く、慣れるまで時間がかかったため、サークル探しに出遅れました。

また、同じ趣味の友達があまりいなかったため、一人だサークル見学に行かねばならず、なかなか行動に移すことができず、苦労しました。

こんな私ですが、今ではなんとか2つのサークルに所属することができています。

が、やはり行動力の大切さを痛感しました。

始めは勇気がいりますが、自発的にアクションを起こさなければ、何も始まりません。

大学では、何事にも積極的に活動していきたいと思います。


ここまで長々と大学生活について書いていきましたが、時間がたつにつれて考えが変わるかもしれません。

考えが変わるたびに、ここに書き記していきたいと思います。