ゴールデンウィーク

今週のお題ゴールデンウィーク2014」

明日からゴールデンウィークが始まりますね。

私のゴールデンウィークの予定は特にありません(笑)
全力で暇を持て余すつもりです。


去年、私は浪人をしていました。
高校3年、そして浪人時代…と、全くと言って良い程、遊びませんでした。(当たり前といえば当たり前ですが)。

去年の今頃の私は、「受験終わったら遊ぶぞー!!」と意気込んでいました。

ですが、いざ大学に合格し、受験から解放されるとなると、この意気込みは消え去りました。

「そういえば、私って暇な時間、何をして過ごしてたかな…」

どうやら私は、この空白の(?)二年間で、暇な時間の使い方を忘れてしまったようなのです。

受験生の時の感覚の名残で、「勉強しないと落ち着かない!」という状況が今でも続いています。

…なんとも不思議なものですね。

大学に入学してからは、さらに状況が一変。

「暇つぶしとしての勉強」から、「やらなきゃならない勉強」に変わりました。

私は理系学部に在籍しているため、とにかく毎日のように課題に追われています。

現在、勉強をやらざるを得ない日々を送っています。

ゴールデンウィークも、少しは勉強します、はい。


ゴールデンウィーク明けから、所属サークルの活動や教職の授業が本格化して多忙になるので、ゴールデンウィークはのんびり過ごし、その後からぼちぼち頑張ろうと思います。


…結局の所、ゴールデンウィークに何をすればいいのかだろうか?(笑)

スーパーで

今日、スーパーへ買い物に行った。

私がレジへ向かうと、私と同じくらいの年齢(大学生くらい)の女性が、お釣りと商品を受け取っている最中だった。

私はその光景を見て、違和感を覚えた。

(あれ?ありがとうって言わないんだ…)

私は普段、買い物でお釣りや商品を受け取るとき、「ありがとう」と店員さんに一声かけている。

私は今まで、このことを無意識にしてきたので、こうすることが常識なのだと今日まで思い込んでいた。

だが実際、違うのだろうか?

言わない方が普通なのだろうか?

世間的にはどうなのか分からないが、少なくとも私の両親は言っているはずだ。

両親を見て、私もこのように心掛けるようになったような気がするのだ(記憶が曖昧だが…)。


…常識かどうかということ以前に、自分が他人の力を借りた時、それがたとえ相手が仕事としての役割を果たしただけだったとしても、感謝を言葉にすることは大事なことではないのか、と個人的には思う。

成人式

私は現在、19歳。

あと○ヶ月で20歳になり、来年の1月に成人式を迎える。

最近、母は毎日のように振り袖の広告を見ている。

私の成人式を、心待ちにしている。

だから言えない…。
「成人式に行きたくない」なんて…。


私は中学の頃、イジメを受けていた。

今思うと、本当に小さなイジメだったと思う。
言葉の暴力だったり、時には上靴がなくなったり、という程度。

けれど…それが今でもトラウマだということには変わりない。

その人達と再会するかもしれない…と考えると、なんだか苦しくなる。

もう二度と、あの子たちの顔は見たくない。
できれば、あの頃を思い出したくない。

そんな気持ちでいっぱいになる。


中学の時にイジメを受けていた、ということもあり、中学時代からの友達は、今ではたった一人。

その子とは、当時は大親友だったのだが、中学卒業後は、お互いに多忙すぎて会えなくなっていった。

今でもたまに連絡は取り合っているものの、その子は高校の同級生と一緒に成人式に行くだろう…となんとなく察している。

「一緒に行こう。」だなんて、誘えない…。



成人式に行くメリットが見つからない。

行きたくない。

まだまだ自分は子供だなと痛感する…。

過去のことを、いまだに引きずっている自分。
一人でいることが怖い自分。

…今年、20歳になるというのに、心はまだまだ子供だ。

本当に、情けない。

ピアノ

最近、ピアノを練習しています。

曲は「Merry Christmas Mr.Lawrence~戦場のメリークリスマス~」です。

…ちょっと季節はずれですが(笑)

今まではクラシックを主に弾いていたので、方向転換してみました。

私が小学生の頃、冬に行われたピアノの発表会では定番の曲でした。

その頃からずっと「弾きたい!」と思っていたのですが、なかなか楽譜と出会えなかったし、弾く自信もなかったので、そのままになっていました。

昨日立ち寄った楽器店で、この曲の楽譜を偶然見つけて、速攻で買いました(笑)

3月中は、勉強や読書もしつつ、ピアノにも打ち込もうと思います。

優柔不断な性格

私は長い間、優柔不断な性格だった。

何か選択を迫られるたび、他の人より何倍もの時間をかけなければ、選択を決めることができなかった。

時間をかけて決断した選択でも、後になって「本当にこれでよかったのか?」などと考えることもしばしば。

…とにかく、決断力に乏しい自分が嫌いだった。

ある時、改善方法を考え、実行した結果、この厄介な性格も少しは改善したように思う。

その方法とは…
「選択肢を全部、紙に書き出すこと」である。

選択肢を書き、さらにそれぞれの選択のメリット、デメリットを思いつくだけ紙に箇条書きするのである。

自分が複数の選択肢の中で迷ってしまうのは、迷う要素がきちんと目に見えていないからではないか、と考え、これを実行したところ、うまくいったのだった。

さらに、この方法には利点がある。

メリットだけでなくデメリットについても考慮した上で選択をしているので、後になって自分の決断を後悔するということが少なくなるのだ。

また、漠然と頭で考えただけで選択した時より、自分の選択やその結果に納得することができたり、自分の選択により自信が持てるのも、この方法の利点である。


ではここで、どんな時に私がこの方法を使ったか紹介してみよう。

この方法が一番役に立ったのは、大学受験前である。

受験したい大学にいくつか候補があったため、実際に大学に足を運んでみたり、パンフレットを見たり、ホームページを見たり、様々な手段で情報を集めた。

ただ、自分の性格上、どうしても複数の大学で迷ってしまったし、情報量が多くなりすぎて、選択をするのが困難になってしまった。

そこで、この方法をとってみたのである。

それぞれの大学の立地、学費、学科、研究室、校風、偏差値などを、良い面悪い面を全て紙に書き出してみた。

例えば
立地…通学しやすいかどうか
学費…高いか安いか
学科、研究室…自分が学びたい分野を学べるか
校風…実際に大学に足を運んだ時の印象
偏差値…自分の学力は足りるか、世間的にはどうか

このように紙に書き出すことで、集めた情報をまとめ、受験校選びがスムーズにでき、さらには自分の大学選びに自信が持てたのだった。

また、「どの条件を重要視するか」ということも意識すると、より選択がしやすかった。



これから、後悔のない選択をするためにも、私はこの方法を続けていきたい。

はじめての虫歯

19歳にして、初めて虫歯になった。

小、中、高校では、歯科検診のたびに先生から「きれいに磨けてますよ。」と言われてきた。

虫歯がないのが当たり前だった。

私は痛いのが大嫌いなので、虫歯にならないように歯磨きはきちんとしていた。

夜、歯を磨くときは必ず手鏡を使う。

これだけは、昔から習慣にしていた。

しかし、この秋冬は、ある事情により極度にストレスを感じてしまい、あまり好きでもないのに甘いお菓子を食べまくって、気を紛らわしていた。

おまけに、なかなか自分の時間がとれないため、手鏡を使っての歯磨きも疎かにしてしまっていた。

そして、そのツケがまわってきた。

つい数週間前、奥歯に黒い点を見つけてしまった。

歯を磨いても、汚れはとれない。

その時、絶望感でいっぱいになった。

「痛くなったらどうしよう。」
「もし歯が抜けてしまったらどうしよう。」
「まだ10代なのに入れ歯なんか嫌だ」
など、心配性の上、メンタルの弱すぎる私は、初めての虫歯に恐怖心ばかり持っていた。

歯医者に行くまでの数週間、ずっと気が重かった。


そして今日、意を決して歯医者に行ってきた。

待合室にいるときから、妙に落ち着かなかった。

悪いことばかり頭に浮かぶ。

自分の名前が呼ばれ、部屋に入る時、緊張感が絶頂だった。


先生に見てもらったところ、
「よく見つけたね。これならすぐ治るよ。痛くないからね。」と言ってもらい、全身の力が抜けた。

実際、治療もすぐに終わった。痛みなんて何一つなかった。

おまけに、虫歯のあったはずの奥歯を見ても、何一つ跡が残っていなかった。

初期虫歯でよかった…。そう思った。

治療後、心配のあまり「他の歯は大丈夫ですか?」と聞いてみたところ、「大丈夫ですよ。きれいに磨けています。」と先生が言ってくれたため、数週間に渡る絶望感がようやく消えた。

これから、たとえどんなに忙しくても、歯はちゃんと手鏡を使って磨く。

そして、しばらくは甘いものは厳禁。

もう、こんな気持ちになるのは懲り懲りだ。

そう痛感した今日だった。

初めての虫歯が、最後の虫歯治療になることを祈りたい。

読書

私は最近、本を読むことが少ない。

しかし、昔はそうではなかった。

私は昔、本を読むのが好きで、ピーク時には1日2冊以上の本を読んでいたし、近所の図書館にも通い続けた。

近所の図書館で満足いかなくなると、母に少し離れた地域の大きな図書館に連れて行ってもらったこともあった。


ここで、なぜ昔は読書する習慣がついていたのだろうか、と考えてみた。

…今振り返ると、「読書の記録ノート」があったから、読書の習慣が自然とついたのではないか、と思う。

読書の記録は、本を読んだ日付、本の題名と著者、感想をノートに書くだけ、という至って簡単なものである。

私は小学校低学年から中学校の間、ずっと欠かさず記録を書いていた。

読書の記録ノートの残りページが少なくなってきたのを見ると、「こんなにも本を読んだのだなあ」と達成感のようなものを感じることができる。

達成感を感じると、さらなる達成感を求めて読書に励むようになる。

この繰り返しによって、読書の習慣がついたのではないだろうか。

また、この記録を続けることには利点がある。

感想を書き記しているので、以前に読んだ本を読み直す時、自分の感想が以前とどのように変わったか、というのを確かめることができる。

同じ本を読んだのにも関わらず、読む回数を重ね、自分が年齢を重ねることで、感想の持ち方がが違ってくると気づいたのも、このノートの記録を読み直したからであった。

また、たくさん本を読むようになることで知識や語彙が増えることは言うまでもないだろう。



先日、私が昔書いていた読書の記録ノートを見つけた。

記録は、中学3年生で止まっている。

これから、通学時間や寝る前の時間を使って読書をし、このノートの続きを書いていこう、と心に決めた。